……わたしの前に古びた扉が佇んでいる。

枠はしっかりとしていて、ノブにも他の部分にも綻びは見られず作り立てのそのままを維持し
ていた。
しかしその黒く重厚な耀きは、それがかなりの年代を過ごしてきていることも示していた。
長い年月を経ながらも美しい、しっかりと手入れされたその完璧な様は……まさに古い屋敷の
ものと思わせるものだ。
だが、そのような扉なのに一つだけ足りないものがあった。

その扉は佇んでいた。
―――壁は、無い。

そう、この扉は私の前になんの前触れもなく現れたのだ。
左右の真っ赤な壁に現れるでもなく、わざわざ絨毯の敷かれたこの廊下の途中に現れたのだ。
もちろんわたしは仕事の途中で、そんなに暇ではない。
今も私の手には銀のトレイが乗っており、そのトレイの上のティーポットはゆっくりと湯気を
立ち上らせている。
冷めた紅茶は嫌いなの、とお嬢様は言う……それはつまり、わたしの命に関わることである。

そもそも、館の姿が変わるのはここでは珍しいことではない。
夜の紅魔館は魔城そのものである。
わたしはまだここに来て日も浅いが、それぐらいは知っている。
そうでないと生きていけないからだ。

この屋敷で見られる怪異は様々である。
横に捩れて上っていく階段、向こう側のある鏡、不思議な世界へと続く部屋……
しかし、今ここにあるこれは、見たことどころか聞いたことすらなかった。

わたしも従者とはいえ一介の妖怪である。
明日の話の種になるかもしれないという口実でこの扉を開けてみようという好奇心はある。
絨毯の上に銀色に光るトレイを置いて、ノブに手を掛け……
「何をしているの」
振り向くと、そこには長である咲夜さんが険しい目でこちらを見ていた。
人間でありながら妖怪である私たちをまとめ上げる究極の怪異である。
彼女に逆らえば明日の日の目は見られない。

わたしは慌ててトレイを拾いあげ、なんでもないですよと弁解する。
心臓はばっくんばっくん音をたて、背には冷や汗がたらたら流れているのが感じられる。
「煎れ直してきなさい。お嬢様に廊下に置いたようなお茶を飲ませる気?」
素直にわたしはそれに従った。
長いものには巻かれているのが一番なのだ。

すれ違った後、ちらりと後ろを見ると判っていたかのように咲夜さんに睨みつけられたので足
早に去ることにした。
――――――扉は、既になくなっていた。

私は、無事に次の日の日の目を見ることができた。
ただ、それでも何かあるだろうと思っていたが、お咎めは無しだった。
不思議であり、何か企みがあるのではないかとも思ったが、結局何もなかった。
素直な自分に感謝ということで気にしないことにした。


後日、噂として聞いた話だが、ある朝、廊下にバラバラになった本が落ちていたそうだ。
パチュリー様が怒られるのではないかと皆心配していたが、リトル様が来られると、何も言わ
ずにその本を拾い上げて図書館に持っていったと言う。
皆が不思議に思い、新たな怪異が増えたのは言うまでもない。



「―――まったく、図書館なら管理ぐらいしっかりして欲しいものね」